「かつや」です!
えーと、かつやくんは大学生にしてピアノで仕事してるんだよね。
将来は音楽でやっていきたいとのことだがその意気込みは嬉しい!
でも音楽屋もビジネスパーソン、つまりは経営者だ。自己責任の大原則の中、一生楽しい音楽をやっていくために、多彩なスキルを身に着けることも一考だと思う。
色々お手伝いを頼まれながら色々覚えくれたらと思う^^
しかしバイト初日で音楽とは全く関係ない作業を頼まれてますが、ちゃんと音楽の作業もありますか??
今は世の中の事情が事情だからな・・・
音楽の現場が閑散としとるだけに仕方ない。
まあそのうちイベントなども復活してくるから、それまではIT系、ライティング系の手伝いをやってもらっとこうと思う。
それも音楽屋として一生楽しく生きていくための大事なインプットだと考えていてくれ笑
この辺で自己紹介をよろしく!
地獄のライティングワークだ!!
いきなり地獄ですか笑
承知致しました!
かつやの地獄かつ怒涛のライティング、見ててください!!!
では自己紹介頼んだよ。
「かつや」です!
では、ここからは僕の自己紹介タイムに移ろうと思います!
簡単なプロフィール
・熊本県合志市生まれ
・1998年誕生
・大学3年生(2020年3月現在)
・ピアニスト(見習い)
・嫌いな食べ物‥‥パクチー (あれは食べ物ではなくカメムシの生まれ変わりです)
・好きな食べ物‥‥パクチー以外
↓ということで、少し長めになって申し訳ありませんが、僕の生い立ちや(浅い)歴史をご紹介します↓
「かつや」の壮大な人生と歴史
などと大それたことを書きましたが、大人の仲間入りをしてまだ1.2年の若造ですのでその程度の人生です。
どうぞお楽しみください・・・。
それではこれより僕が生きた約21年間を時代ごとに分けてご紹介します。
誕生、そして幼稚園へ ~もはや記憶などない~
ーーー1998年3月16日ーーー
春の暖かさを次第に感じゆくある晴れた日に一人の子がこの世に生を宿すーーー。
場所は熊本の地ではお馴染み、「福田病院」ーーー。
長男として生まれ両親からの無償の愛を注がれながらすくすくと育つ「かつや」。
やがて彼は3歳になり菊陽町のとある幼稚園の門を叩くのであった・・・
一年後、幼稚園生活にも慣れ、友人たちと砂で城を作っては水を流し壊す日々に飽き飽きしていた「かつや」に母がある日こんなことを言い放つ。
「ピアノ、習ってみらんね?」
この言葉に当時の自分が何を思ったのかは定かではない。が、母の話によるとどうやら笑顔で即答したようだ。
「やるー!」( ^^)ノ
ピアノ弾きとしての「かつや」、誕生の瞬間である。
小学校編① ~あなたに向いているところ~
某大手楽器メーカーでのグループレッスンに同じ幼稚園の仲間たちと通い始めた「かつや」。
どうやら集団でのレッスンはあまり好みではなかったらしく常にふざけ倒し先生に怒られる日々。
しかもレッスンは毎回、保護者同伴なのである。
母よ、他のママ友からの視線がきつかったろうに。すまんかった。
そのような日々を見かねた母からある日、このような言葉がーー。
「個人のところに移ろうか?」
至極当然な提案である。即答。同意。
最後にグループ内でのミニ発表会、なぜか先生から
「かつやくんは一番上手」
だと褒められてしまった。
ふざけ倒してたくせにそれは不条理である。
ママ友にとっては面白くなかったに違いない。
母よ、他のママ友からの視線がきつかったろうに。すまんかった。(再利用)
その後、知り合いの紹介で長嶺にある個人の先生に習いに行くことに。
新しい先生は優しくとても明るい方だった。
そこで「かつや」はあることに気づいてしまう。
「”ピアノ”は楽しいけど”クラシック”ってあんまり楽しくない!!」
と・・・
「僕はこのままピアノを続けるべきなのだろうか?」
という疑問を抱えながらも結局続けるのである。なぜ?
その答えはすぐに解明されるであろうーーー。
小学校編② ~スポーツとの出会い、早すぎた別れ~
「かつや」は一人っ子ということもあり習い事はスポーツも沢山させてもらえた。
「剣道」、「水泳」、「少林寺拳法」、、e.t.c…
だがしかし・・・
長く続かない笑
それには理由がある。
簡単なことである。
①センスがなかった。
②やる気がなかった。
③体力がなかった。
以上。即決断。
「クソお世話になりました!!」(ドン!!)
(引用元:one-piece)
短期において「かつや」のスポーツ史に幕が閉じた。
そして「かつや」少年はここに来て疑惑が確信に変わる。
「これもうピアノしかできることねえな」
やっぱりピアノを続けることを密かに決心するのであった。
中学生編① ~部活選考、その果てに~
中学校へと入学した「かつや」の前に新たな壁が立ちはだかる。
「部活」だ。
中学生の「かつや」にとって友だち作りは必修科目。
コミュニケーション能力に自信のなかった彼は部活という限られたコミュニティで友だちを作ろうと強く決意する。
で、何の部活に入れば良いものか‥‥。
サッカー、野球、バスケ、、
ダメだ!!
上手い下手以前にノリが合う気が全くしない!!
オマケに小学校時代はスポーツが全然続かなかったじゃないか・・・!
僕でもできて友だちもできそうなスポーツはないものか、、そうだ!
「卓球だ!!」
ピンポン球なら当たっても痛くなさそうだしラケットかわいいしいけるかも、、!
とりあえずテレビであってる試合見てみよう!(^^)
ーーーーーーーー
完全に舐めていた。
なんだあの打ったときの音は。
なんだあの玉の速さは。
これは大会なんか出たら、
間違いなく殺される!!
ということで仲の良かった男友達と安全そうな「吹奏楽部」に入りましたとさ。
だがその吹奏楽部が全く安全ではなかったということや、結局地獄であったというお話はまた別の機会に。
中学生編② ~ピアノ、辞めます!~
なんだかんだで中学生活にも慣れてきた「かつや」
ピアノのレッスンも週に1回通いながら日々を過ごしていた。
だがある日、ふと思うのである。
「このままピアノを習い続けて、結局どうなるんだろうか?」
プロを目指していたわけでもなく、習っているクラシックも好きにはなれない‥‥。
その一つの理由がこれ↓である。
「かつや」の今の手だが男にしては小さく、なかなか上手く鍵盤を押せなかったのだ。
クラシックの曲は楽譜上に全て音符が書いてあり、決められた音を正しく出さないといけない。
「大きい手の作曲家が作った曲を小さい手の僕が弾けるわけないじゃないか!」
・
・
・
・
よっしゃ、辞めたろ!
だがピアノの先生のことは好きだしあまり悲しませたくもない、、、
ということで「かつや」少年は受験を理由に合法的に辞めようと、先生にその旨を伝えに行くのであった。
かつ「受験勉強があるのでレッスンを終了させていただこうかと‥‥」
先生「なるほど‥‥全然OKよ!でも毎年発表会だけは来て好きな曲でいいから弾いてね(^^)」
かつ「は、はい!わかりました!」
なんと優しい方なのだろうか、そして習ってもいない中で毎年何を弾けば良いのだろうか‥‥
感謝と不安がよぎりつつピアノから離れる「かつや」であった。
中学生編③~RE:ゼロから始めるピアノ生活~
時は経ち、いよいよ受験が迫った3年生の秋。
「かつや」はほぼ毎日塾に通いながら
起きる→学校→塾→寝る
のサイクルを繰り返すだけの日々を送っていた。
唯一の楽しみは就寝前のYOUTUBEをチェック、鑑賞することのみ。
いつものようにスマホを握りしめ一通り動画を見て眠りにつこうとしていたある日のこと、
ふと”おすすめ”に出てきた動画が目につく。
「千本桜」を弾いてみた
まらしぃさん
当時は聴いたことのないロック系の曲のピアノアレンジであったが「かつや」は
ここで衝撃を受けたのである。
こんなに楽しいピアノ曲があるのか!!
詳しく概要欄やコメントを読むと、
「楽譜は特になく耳コピでアレンジしている」
とのこと。
この曲が弾けるようになりたい!!!
と強く思った「かつや」少年は次の日、約半年ぶりにピアノの蓋を開けるのだった。
高校生編 ~耳コピすっごーい! たーのしー!~
あの日からほぼ毎日、塾から帰宅して深夜2時頃までピアノを弾いてから寝る
という生活を繰り返していた「かつや」はかろうじて高校には合格。
高校でも性懲りもなく「友だちがほしい」という理由で再び吹奏楽部へと入部してしまう。
しかもかなりの強豪校ということで練習づくしの毎日。
ピアノを弾く時間がかなり制限されたがめげずにどうにか家で弾いていたようだ。
「千本桜」きっかけで「ボーカロイド」というジャンルにドはまり。(詳しくは検索してね)
一気にオタクという属性を身につけ多少クラスで浮いたり逆に友だちもできたりしていたのである。
自分が好きな曲をたくさん聴いてコピーする
という作業を家で繰り返していた彼はやがて
「人前で弾いてみたい!」
と思うようになる。
そして色々とこじらせた彼が高校在学中にやらかした2つの奇行をご紹介しよう。
① 全校集会にて校歌のピアノ伴奏をアレンジしすぎて先生に怒られる
② 文化祭のステージでピアノソロを披露する
中々に痛いことをやってしまったと思うが、今振り返ればあのステージが人前で弾く原点だと思うと懐かしくも感じるものである。
大学生編 ~こじらせたその先に~
高校を卒業した「かつや」は無事に大学への進学も決まる。
大学に入った「かつや」に新たな壁が立ちはだかる。
「バイト」だ。
だが今回は中学の部活のようには迷わない。
しっかり受験勉強中から色々調べて考えていたのである。
生演奏があるお店に入りたい!
という強い信念のもと候補を探したおかげでいくつか絞り込めた。
そしてついに、人生初バイトに応募してみたのである。
その時は「かつや」は知らなかった。
ライブハウスだと思っていたそのお店が
「生演奏+お姉様がいるラウンジ」
だったということを。
ーーーーーーー
結局のところ、ボーイとして働くうちに接客やお酒のことも多少スキルがついたのでここはラッキーであった。
そのお店で働き出して1年半程経った頃、お店のミュージシャンの方々とも仲良くなれてきた頃である。
ふと歌手の方に
「私の伴奏してくれない?」
というお言葉を頂いて人生初の「仕事」がやってきた。
今まで家で一人であったり、知り合いの前で弾くばかりだったのが
「お金」をもらって「知らない人の前」で弾くことになったのである。
これはやばい、緊張する・・・。
「仕事」で演奏することの責任とはこういうことなのだと実感。
これをきっかけに「かつや」に少しずつ演奏のお仕事が来るようになった。
現在の活動
現在、初めての仕事から約2年半ほどが経ちました。
今は最初の頃に比べてたくさん演奏の機会をいただけるようになりました。
内容は主に、
ラウンジでのBGM、お葬式、バーでの演奏、歌手のサポート、ヴァイオリンのサポート、ライブ、企業様のパーティ、コーラスグループの指導、地域のお祭り、イベント、レッスン、e.t.c….
熊本県内を中心に月に一度のペースで県外での活動も少しずつ増えてきました。
特に茨城県には、とある方のご縁のおかげでかなりのペースで行っています。
今では人前で演奏して拍手を頂くことが何よりも嬉しいと思えるようになりました。
新しい出会い
演奏の機会が増えてきた中で、さらに増えてきたもの。
それは、
人とのご縁
です。
どれだけ実力があっても、場を提供してくれる方がいない限り演奏の機会は増えないことがわかりました。
僕も現在、たくさんの方にお世話になって育ててもらっています。
その中のお一人こそ
FUN MUSIC ROOMS 代表
こと
ゆーすけ社長
です!!!
ゆーすけ社長は今までの方々とは少し違い
①音楽というジャンルの中での演奏だけではない幅広い仕事
②音楽以外も含めた多様なインターネット事業
というご自身のお仕事のサポートをしてほしい、と僕に声をかけて頂きました。
②に関しては正直
「音楽に関係ないことをやる意味ってあるのかな?」
と最初は思っていました。
しかし社長に色んなお話を聞いたり、現在のコロナウィルス騒動に関する記事を読んでみてかなり考え方が変わりました。
音楽以外のスキルを身につけておくメリットとして
①収入の柱を増やすことで非常事態時の対策ができる
②他のスキルを音楽と繋ぐことで自分の音楽活動の幅がかなり広がる
ということを認識しました。
最後に
今の僕の将来の夢は
自分の好きなことでお金を稼いで生活をする
です。
もちろん今の好きなことの99%以上は「音楽」です。
これからどのように変化していくかは今のところはわかりません。
その夢を実現するために必要なことをゆーすけ社長の下、しっかり学びながらこれから頑張ろうと思います!
長々と書き連ねてしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。
かつや
ここまで長いのは期待していなかったが、長く書けるのは良いことだ。
ライティングセンスもなかなか良いので、これからが楽しみだ^^
2020.3.15
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